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人生いろいろ

最近話題の某児童相談所建設計画について思うこと

こんにちは、Takahiko(@takahiko1969)です。

最近なかなか更新できていなかったので、久しぶりの投稿です。

 

本当に寒いですね。暖房の効いた部屋で湯豆腐でもつつきながらまったりしたい今日この頃ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

 

Unityの教材のレビューをメインとして始めたこのブログですが、ちょっと今日は趣向をかえて、最近ネット等で話題になっている某児童相談所建設計画について思うところを書いてみようと思います。

いつも通り(というか過去最大級!)長文になるかと思いますので、「それでもいいよ!」っていうとんでもなく優しい方は是非読んでいってください!

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 ※この記事は完全に個人の感想です。

 

この記事を書こうと思ったきっかけ

僕がネットで見ている限りでは、中にいる人(この言い方が適切かはわかりませんが、児童相談所や併設される一時保護所にいた子、母子生活支援で育った人など、児童相談所や母子生活支援があることで恩恵を受けられる可能性がある or 受けたことのある人たち)の意見は殆どネット上には見当たらなかったので、いち中の人(児童養護施設出身者)として意見を書き残しておくべきじゃないかと思ったのです。

 

今回の件について思うこと

 誤解を恐れずにいえば、反対派の方々が騒いでくれたおかげで、児童相談所等の社会的養護(注:保護者のない児童や、保護者に監護させることが適当でない児童を、公的責任で社会的に養育し、保護するとともに、養育に大きな困難を抱える家庭への支援を行うこと)をより多くの人に知ってもらえた(≒興味を持ってもらえた)、という意味では話題になってよかった、とは思っています。

しかし、反対派の意見として挙げられている内容を見てみると、児童相談所と一時保護所の区別、そしてそれと児童養護施設の区別もついていないんだなぁという事実に愕然としました。

件の自治体が出しているこの資料に詳しい説明がありますが、基本的に一時保護所から子どもが外の学校に通うことは殆どありません。

私が把握している例外的な場合としては、高校生になっていて、その学校(私立国公立問わず)に本人や周りの環境に心配がないとき、入学式・卒業式等の特別な行事のときだけです。

中学生までのいわゆる義務教育を受けている年齢の子たちが一時保護所の所在地の学区に転校するということはほぼあり得ないと思います。

 

それどころか、そもそも一時保護所にいる間は外に出ることが制限されています。
(悪いことをしたわけではなく、親族の虐待から逃げてきた場合でも、です。)

勉強は保護所の中で行いますし、運動も併設の体育館や屋上等の敷地内で行います。

例えば、近くの公園に遊びに行く、ということすら保護所内の予定で決められているとき以外できないのですが、そんな事実は殆ど認知されていないのではないでしょうか。

 

今回の件から少し話はそれてしまいますが、一時保護所→児童養護施設出身者にとって、社会に出て一番最初にあたる障壁は「世間の無知による勘違い」です。

平成ももうすぐ終わり、というこの時代に信じたくはないのですが、「少年院と児童養護施設がイコールだと思っている人」のほうが残念ながら多いのではないでしょうか。

実際、私が在寮していた(施設にいた)ときも「施設にいるから、施設出身だから」という理由でバイト先の面接で不採用をくらっていた子もいました。

 

「非行を犯した子ども(更生が必要な子)」と「虐待を受けたり親族の不調など本人の都合に寄らない理由で家庭にいられない子ども(保護が必要な子)」では全く意味が違う、というところは強く主張しておきたいです。

 

 

反対派の意見として「なぜ青山なのか?」という疑問は何となく分かる気がします。

税金を払っている身として、その税金の使途が気になるのは当然のことでしょうし、件の土地が本当に適切なのか?というところは自治体に説明を求めていいでしょうし、自治体側がそれにたいして真摯に説明する、ということであれば、それは健全な都市運営という意味ではむしろ推奨されるべきことかな、とも思います。

 

しかし反対派の意見として出ている

物価が高く、学校レベルも高く、習い事をする子も多い。施設の子が来ればつらい気持ちになるのではないか

という意見や、

入れられたお子様が休日なんかに外に出ると、あまりにも幸せな家族、着飾った両親、そういう場面と自分の家庭を見た時のギャップをどう思われるかということを私はすごく心配しております

という意見に関しては、「なんの立場で言ってるんだろうな」という強い憤りを覚えます。

同時に、「児童相談所のことなんて全く理解していないし、理解する気もないんだろうな」という強い悲哀も感じます。

 

最初にこの話を知って憤りを覚えた時に、

いや、ちょっと待て、昔施設にいたことがあるとは言え、何故自分はそんなに憤りを覚えるんだろうか。

と考えてみました。

 

色々と考えてみた結果、「自分の中では反対派の言っている意見はある意味正しいと感じている部分もあるから、憤りを覚えたんだろうな」という結論に至りました。

 

どういうことかと言いますと、私がいた児童養護施設は、今回の件の某地域程では無いにしても比較的裕福な人が多い地域に位置していたのです。

例えば、学校帰りや休みの日、クラスメイトの家に遊びに行くと、そこが信じられないくらい大きな家だったり、親が有名人で信じられないくらい裕福な生活をしていたりするのです。

最新のゲーム機があったり、素敵な1人部屋を与えてもらっていたり、例を挙げればきりがありません。

もちろん、お金があれば絶対に幸せでは無いですし、最新のゲーム機を持っていないから絶対に不幸ということもありません。

しかし、そういうクラスメイトの生活ぶりを一目見てしまうと(直接誰かに指摘されなくても)どうしても自分の境遇、生活環境に負い目を感じてしまうことは否定できなかったのです。

反対派の意見をネットで目にした瞬間、きっとその時の感情を思い出したこともあって、強い憤りを覚えたんじゃないかな、というのが自己分析の結果です。

 

これは裕福な地域にある施設にいる子たちだけに限らないと思います。

例えば、友だちの家に行ったら、お父さんお母さんとその子が幸せそうに話をしていた、休みの日に旅行に行ったことを聞いた等、そんないわゆる普通の日常の世界を垣間見るだけでも、ついつい自分と比べてしまう瞬間があるんじゃないかと思うのです。

 

世の中全ての人が、支援や保護が必要な子たちに手を差し伸べるべきだとは言いません。

しかし、児童相談所や一時保護所にいる子どもたちは「自ら環境を選択することができない状況で、半ば仕方無しに社会的養護を求めている」という側面が絶対にあります。

そこだけは、たくさんの人たちに頭の片隅にでも置いて頂ければ嬉しいと思うのです。

 

もし、自分のこと、そして自分の家庭や身の回りが幸せで余裕がある、という人たちには、少しでいいので、「その幸せを周りに分け与えてみようかな!」という気持ちを持ってくれたら、もっとみんなハッピーに生きられるのではないか、とも思うのです。

 

実際私も、そういう志や気持ちがある人たちの優しさと心遣いで何とかここまで生きてこれました。

では、施設出身者がもし、他人にそういう風にやさしくされるとどう思うのか、「なんだこいつら、お金があるからいいな、羨ましいな」とは思いません。

自分もそうなりたい、自分がまずハッピーになって、自分に優しくしてくれた人たちのように、それを周りに還元したい」と思うのですよ。

それは私以外もそうだと思います。

 

そういう風に、「今の社会が良い輪が広がってくれればいいな」と願わずにはいられません。

 

あとがき

本当はこのブログ、Unity(誰でも無料で使えるゲーム開発エンジン)や趣味の音楽のことだけ書いていくつもりだったのです。

しかし、今話題の児童相談所建設計画の話と、それに対する反対派の人たち、周りの人たちの反応を見て色々考えた結果、多分中の人たちはこの件に関して、あんまりコメントしていないようだし、中にいた人の話は児童福祉等の社会的養護の啓蒙という意味では有益なんじゃないかと思って書いてみたわけです。

正直、反対派の人たちの意見を見た瞬間はかなり頭に来ましたし、どういう生活を送ったらそんなことが口にできるのかな、と不思議に思ったのですが、そんな感情論をそのまま書いても(少なくとも今の自分にとっては)何のプラスにもならない気がしたので、ちょっと落ち着いて頭を整理してから書いてみました。

 

自分がお世話になっている人から教わった言葉で「人生は掛け算だ」というという格言があります。

こと、今回の件に関しては、他に施設出身者や児童相談所の中を知っている人が記事を書いているのが見当たらなかったこともあり、これはきっと自分の経験(一時保護所での生活、児童養護施設での生活)を掛け算してちょっと世間のお役に立てるかなと思ったのです。

 

最後までお付き合いThank you!です。

また覗いてくれたらうれしいです。

 

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