こんにちはTakahiko(@takahiko1969)です。
昨日起きてしまった痛ましい事件について、児童養護施設出身者として私見を述べさせてください。
まず初めに
亡くなられてしまった職員の方のご冥福をお祈りいたします。
私が言うことでは無いのかもしれませんが、子ども達のために、と思って志を持って働いて下さっている方がこのような形で亡くなってしまったことは本当に残念に思いますし、とても悔しいです。
そして、ここだけは強く主張しておきたいところなのですが、事件が起きてしまった施設に限らず児童養護施設にいる子たちは、基本的に人を傷つけたりするような子は殆どいないと思っています。私も全国全ての養護施設を知っているわけではありませんが、
「今までの人生で傷ついてきたこともたくさんあるけれど、それでもまだ自分が悪いと思って自分のことを責めてしまう」
そんな気持ちを持った子が殆どだと思います。
今回の事件について
件の被疑者の彼がどうしてこのような凶行に走ってしまったのか、そして何の罪もない職員の方がどうして命を落とさなくてはならなかったのか、それは今の私にはわかりません。
事実関係に関しては、今後警察の取り調べや裁判を通じて様々出来事が明らかになっていくと思うので、それを見守りたいと思っています。
今の私には、寮に残っている子どもたちや職員の方が元気になって生活してくれることを切に願うことが精一杯です。
この記事を書こうと思ったきっかけ
かつて、南青山の児相建設の件について記事を書いたことがあり、その記事がかなり多くの方に見てもらえたというのも一つのきっかけですが、
一番の理由は、児童養護施設施設出身者が育ててくれた職員を殺めてしまった。
この事実が与える影響は想像以上に大きいのではないか、と思ったことがこの記事を書こうと思った直接のきっかけです。
児童養護施設は全国にあります。そして現在そこで生活している子ども達は2万7千人以上います。(厚生労働省のHP参照)
そして、そこに私のような、卒業(退寮)している子たちを含めるとその数はとても大きくなります。
その子たちが皆この事件の影響を少なからず受けると思ったのです。
児童養護施設出身ということを公にしている人も隠している人も、この事件によって、そういうことをするのではないかという目で見られるのではないかと危惧しています。
児童養護施設出身でも、そうでなくても、挑戦してみたいことにチャレンジする機会というものはできるだけ平等であってほしいな、と願わずにはいられません。
児童養護の難しさ
施設で生活している子ども達には生みの親がいます。職員の方たちにも個人の生活があります。こんな言い方をしていいのかわかりませんが、究極的にはそこの差をどこまで埋められるかということに尽きるのではないかと思っています。
職員の方は志を持って施設で暮らしている子ども達に接してくれていると信じていますが、あくまでもそれは職業として、だと思うのです。
子ども達も、職員の方もそこに対するお互いのリスペクトがあって初めて児童養護施設の生活というのは成り立つのではないかと思うのです。
かつて、私が施設に住んでいたころ、同じ施設で暮らしていた子に色々と悲しい目に合わされたことがありました。(プライバシーのため、詳細は伏せさせてください)
その時に職員の方は自分の見方にはついてくれませんでした。当時は憤りも感じましたが、今はその時の職員の方の気持ちが分かるような気がします。冷たい言い方がをしてしまえば、職員の方にとっては自分の産んだ子どもではないし、家族ではないのです。
また、子ども達にとっては守ってくれる(≒擁護してくれる)人であっても生みの親ではないのです。
この件について、私は施設の職員に率直に疑問をぶつけてみたことがあります。
「なぜ悪いことはしていないのに、自分ばかり我慢しなくてはいけないのか、私を傷つけた彼をちゃんと教育することはできないのか」
と聞きました。
帰ってきた答えは
「それが養護と教育の違いなんだよ」
という言葉でした。
当時は、意味が分からずただ苛立ちを覚えた、というのが正直なところです。
しかし、社会に出て自分や自分にとって大切な人の生活を守ることの意味が少しわかってきた今では、その言葉の捉え方が変わりました。
今思えば、その職員の方は凄く悔しそうな、悲しそうな表情でその台詞を言っていました。
真意は私にはわからないのですが、もしかすると、怒りたくても怒れない状況(例えば法律や規則等)があったのかもしれません。
悪いことをした子は親に怒られたり、良いことをしたら褒められたりするのが普通なのかもしれません。
しかし、それをすべての施設の子に平等に施設の職員ができるかというと、現実には職員の人数の問題等があり、なかなか難しいのではないかな、とも思います。
とにかく今必要なのは、今を生きている多くの人に児童養護施設という存在を知ってもらうことなのかなと思います。そこがスタートラインだと思うのです。
人ってなかなか自分がしらない異質なことに対しては、受け入れるということが出来ない生き物だという風に思っているので、まずは一人で多くの人が「児童養護施設ってなんだ?」ということに興味を持ってくれることを切に願ってやみません。
そして、願わくば、「児童養護施設ってこうあるべきじゃないか?」という意見や議論が出てきてくれたら凄くうれしいな、と思うのです。
今児童養護施設の職員との関係に悩んでいる子たちへ
僕の意見が、絶対に正しいわけではありません。
ただ、ぶっきらぼうな言い方ですが、1卒業生としてこういう意見もあるんだということを書き記させてください。
職員の方は今できることを精一杯してくれていると思います。もちろん、生活している上で足りないなと思うことは沢山あると思います。現に僕もそれを感じた瞬間はありました。
ただ、ちょっと想像してみてほしいのです、それが今の彼らの限界なのかもしれません。
それは、勤務時間の限界なのかもしれませんし、もしかしたらもっと別の理由があるのかもしれません。
ただ、一つ言えることはその辛さや苦しさを職員にぶつける必要はないということです。
もし、生まれた環境に恵まれなかったり、育った環境に不満があるのであればそれ以上に良い家族を自分が作ればいいのです。簡単ではないですが、それだけのことだと思いますし、思うようにしてくれたらうれしいです。
そしてそういう私たち、あなたたちを支援するために色んな団体があります。
「NPO 児童養護施設」とか「児童養護施設 支援」で検索してみてください。
多少の迷惑はかけたっていいんです。わざと人を傷つけたりしなければ。
色々使わせてもらいましょうよ。せっかく生まれてきたんです。なるべくハッピーに生きれたほうがいいじゃないですか。
少なくとも恨みとかそんなことに時間を使うのは勿体ないです。
最後に
色々な考えを持った子や人がいると思いますが、人を恨み続けたり、そのために犯罪を犯す必要はないです。
自分やその周りの友達がどうしたらハッピーに生きられるかだけ考えてほしいなと思うのです。
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中島みゆきの「銀の龍の背に乗って」という曲にこんな歌詞があります。
「急げ悲しみ 翼に変われ、急げ傷跡 羅針盤になれ」
悲しみは翼変えて、今までの人生で負った傷跡はその先の羅針盤にして、そんな風に生きられたらいいなって、思いながら私も生きています。
せっかく生まれてきたのです。悲しいことも傷跡もとりあえずいい方向に向けようと努力して生きている人が児童養護施設出身者にも沢山います。
どうか、この事件以降も児童養護施設出身者に対してもとりあえず挑戦させてみる、という社会であってほしいなと切に願います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
よかったらまた当ブログも覗いてくれたらうれしいです。
それではまた。
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